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真の大和魂は死の恐怖を克服し公のために生きる精神
 「死するとも なほ死するとも 我が魂よ 永久に留まり 御国まもらせ」
 第二次世界大戦中、神風特攻隊のある一人の方は、「死んでも、なお死んでも、私の魂よ、永遠にとどまってこの国を守れ」と、そう言い残してこの世を去りました。
 あるいはかつて、この日本で「ハラキリ事件」と呼ばれるものがありました。この壮絶な事件は、かつて日本にあった「切腹」という文化を世界に知らしめて、そして世界に日本男児の勇ましさを教えるのみならず、世界中を脅かせ、震え上がらせました。
 幕末から明治にかけて、日本のいたる所が一時、無政府状態になりました。そこで当時の政府は、土佐藩に大阪の堺を警護するように任命したのです。
 しかしフランス軍艦が許可なく堺港に入港し、そしてフランス水兵が上陸してきました。彼らからすれば、日本人など黄色い猿くらいにしか思っていない、差別の時代です。
 そうした時代の中で、事実かどうかは分かりませんが、しかし日本政府側の資料によると、フランス兵は神社や仏閣に無断で侵入して、そして女性や子供を追い回す醜態ぶりであったそうです。酒に酔っていたのかもしれません。
 そこで土佐藩士数名が現場に向かい、船に帰る様に身ぶり手ぶりで彼らに説得したそうなのですが、フランス水兵たちは、土佐藩士たちを笑い者にして、口笛を吹いたり、踊ったりしてからかったそうです。
 結局、フランス兵が言うことを聞かないので、土佐藩士たちは彼等を逮捕して連行することにしました。しかしフランス兵たちは逃げ出して、そしてその際に土佐藩の藩旗を奪い取るという暴挙に出たのです。
 藩旗を盗まれては、面目が立ちません。そこで土佐藩士はフランス兵に追い付いて刀で切り付けて、藩旗を奪い返しました。するとフランス兵と土佐藩士の間で銃撃戦が始まり、フランス側に十一人の死者が出ました。
 こうしたことを受けて、フランス政府は日本政府に対して猛抗議をしました。
 非があるのはどう見ても、フランス側にも思えますが、しかし実はそのほんの少し前にも、神戸において日本とフランスの間に同じようなトラブルがあった為に、一刻も早く新政府を作らなければならない動乱期ということもあって、日本政府はフランス側の要求を全て受け入れることにしたのです。
 その要求の中には、遺族への賠償ということももちろん含まれていましたが、加害者二十名の処刑ということも含まれていました。つまり「非はフランス側にあり、日本側にはないが、しかし今、日本は建国しなければならない大切な時であり、外国と争っている時ではないから、申し訳ないが日本の為に死んでくれ」と、そう時の政府は土佐藩士たちに言ったわけです。
 その申し入れに、土佐藩士二十名は快く承諾しました。そして当時のフランス公使が立ち会いのもとに、処刑、すなわち日本男児の切腹が始まったのです。おそらくその公使も、銃殺くらいに軽く考えて立ち会ったのでしょう。
 まず一人目の男が、フランス公使を睨み付けながらこう叫びました。
「いいか!自分は死ぬが、お前らの為ではない!国の為だ!自分は七度生まれ変わって、お前らを殺してやる!フランス人よ、日本男児の割腹を見よ!」
 そして彼は脇差しを取り、自分の腹を上から下に切り裂き、次に横一文字に切り開き、さらに今度は下から上へと切り上げたのです。
 当時の武士たちは死の恐怖を克服して、「いかに死ぬか」ということにこだわりがあった為に、人に殺されるのではなく、「自ら命を閉じる」ということに美学を持っていました。ですから当時の武士たちは、腹を十文字に切ったり、あるいは横三文字に切って切腹したのです。
 彼は自分の腹を切り裂くと、なんと腹の中から臓物をつかみ出し、公使目がけて投げ付けようとしました。もちろん椅子に座って眺めていたフランス公使は、ただ怯え慌てふためくばかりです。
 それを見て、慌てて介錯人が大刀を振り下ろしました。しかし動揺したのか、介錯人の手もとが狂ってしまいました。周りにいた人々も、驚き、どよめきましたが、すると切腹しているその男はこう言いました。
「なんとせられたか!心静かに!心静かに!」
 つまり切腹する者が、介錯する者や周りの一同を冷静になる様になだめたわけです。
 こうして彼は日本の為に命を燃やしました。一人目の切腹で既にフランス公使の顔は青ざめていたそうです。
 次の男は余裕な表情を見せて、しかもフラスン公使を見つめて微笑しながら切腹しました。こうして三人、四人と凄まじい切腹が続いていくうちに、フランス公使は気分が悪くなり遂には席を立ちました。
 立ち会い人がいなくては、切腹が成り立たない為に、日本の役人たちはフランス公使に席に戻るように説得したのですが、しかし公使は聞き入れず帰ってしまいました。
 これを受けて納得できないのは、切腹する予定であった残りの土佐藩士たちです。彼らからすれば、同じ事件が原因で仲間が国の為に命を投げ出したというのに、自分たちだけ生き残るというのは、何とも卑怯であって我慢ならないわけです。
 しかしその後、彼等はその命を大切に使いました。
 かつて「武士道とは死ぬことと見つけたり」と、そう考えた方もいらっしゃいましたが、しかし大和魂とは、決して無駄死に、あるいは犬死を望むものではありません。
 大業の見込みがあるのならば、いつまでも生きる、不朽の見込があるならばいつでも死ねる、こうした身も命も惜しまずに公のために尽くし、死の恐怖すら克服する精神、それが大和魂なのです。
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プロフィール

与国秀行

Author:与国秀行
 少年時代は愚かなことに派手に街で暴れ回っておりました。
 高校卒業後は、本を片手に北は山形から南は沖縄まで、アルバイトをしながら日本各地を放浪し、独自の学習と経験を積み重ねました。
 東京に戻り、父親が経営する飲食店を援助しますが、バブル崩壊によって倒産、アルマーニしか着ない成金生活から、一気に貧乏生活に急落しました。
 一時は原付のヘルメット入れに荷物を入れて、親戚の家を泊まり歩く、半分ホームレス生活となりました。
 やがてネズミが這い回るラーメン屋の倉庫で寝泊りし、皮パンを食い破られる生活も経験しました。
 ボランティア団体で障害を持たれた方々に奉仕活動をしながら、ラーメン屋を営み、一時はマスコミで騒がれる人気店となるものの自ら閉店いたしました。
 それまでは物事の善悪が分からずに暴れまわり、そして「男として生きるならば強くなければならない、そして強い男とは肉体的に強いのであり、それは喧嘩にも負けない男だ」などと、誰に教わるでもなくそんな価値観に染まり、いつしか自分自身を見失っていました。
 しかし「幸福の科学」という新興仏教に出会い、己の心と向き合い、そして闘うことで、私は人生を悔い改め始めたのです。
 そして結婚を機にかつての「谷山」という悪名を捨て、「与国」と名乗り、今では全く異なる人生を歩んでおります。
 かつては他人のことを思うことがあっても、それは憎しみ、妬み、怒りなどばかりで、人から見られたら恥ずかしい想いで一杯でしたが、しかし仏教による心の学習を積み重ねていくことで、いつしか私は「心穏やかな普通の暮らし」を手にしていたのです。
 しかしそれでも世の中を見渡してみると、間違った宗教が世に蔓延り、そしてそうした間違った宗教が、これまで社会的事件さえ犯してきたために、「宗教が人間教育の原点である」ということが忘れられて、人々は「宗教」という言葉を耳にするだけで逃げていきます。
 そして親殺し、子殺し、猟奇的殺人、無差別殺人など、心の貧しい殺伐とした時代が続くどころか、毎年、毎年、少しずつ時代は酷くなっています。
 そしてそんな悲しい時代の流れの中で、「悟り」という苦しみを断ち切る刃を持つことができずに、心苦しまれている方で世の中は溢れかえっていますし、かつての私の様に畳の上で死ねないような生き方をしている人もたくさんいます。
 しかも悟りを与えるべき坊主どもは、相変わらず冠婚葬祭や観光事業にばかり精を出して、本来の仕事を忘れています。
 こうした乱世を目の当たりにして、私は「これまで学んできた心の話を書いて、少しでも乱れた世を鎮めようとよう」という想い立ちます。
 しかし無名な人間がいくら心について書いたところで、抹香臭い宗教的な話など誰も見向きしてはくれず、乱世は激しさを増すばかりです。
 その一方で年末になれば、テレビでは格闘技ばかり放送しています。
 私たち人間が幸せに生きていくためには、正しい心について学び、そして自らの心に目を向けて闘うことであるというのに、しかし世の中から心の闘いは忘れ去られて、「他人の肉体の戦いに目を向ける」という格闘技ばかりが流行しているわけです。
 そこで私は格闘技には一切興味も関心もなかったのですが、宗教とは真逆に位置する格闘技の試合にあえて出場しました。
 ・「ジ アウトサイダー」
 ・シュートボクシングの試合
 それはブログなどで宗教に対する誤解や偏見を取り除く文章を書いて、多くの人々に読んでもらい、ほんの少しでもこの日本に深く根付いた宗教アレルギーを取り除く為です。
 試合結果は共に胸骨や肋骨が折れ、惨敗するものの、しかしこうした試合を切っ掛けにブログのアクセス数を伸ばし、雑誌等にインタビューや手記を載せて、現在は少しだけ受け入れてもらうことになりました。
 そして2009年5月、幸福実現党が立党され、私は自分の哀れな過去に対する罪悪感から、一度は「やめよう」と思うものの、しかし「今は国難の時であり、放っておいたら誰もやってくれない」と、批判も誹謗中傷も覚悟の上で出馬を決意しました。
 なぜなら宗教に対するアレルギーを取り除こうとしているうちに、いつしか私は中国の覇権主義が迫ってきていることを知り、そして北朝鮮の核兵器の実験が起こったからです。
 ですから私も最初から政治に対して興味や関心が深かったわけではありません。
 多くの方々がそうであるように、かつての私も政治に対しては無知であり、そして平和ボケを続けていました。
 ですから「北朝鮮は恐ろしくても、やがてあの国は崩壊するだろうし、きっと中国は平和な国なのだろう」と考えて、私の興味や関心は宗教紛争にばかり向いていたのです。
 しかし学べば学ぶほどに、実は日本が平和ではなく、このままでは日本が本当に無くなってしまうかもしれないという国難であることを知ったのです。
 だからこそ第四十五回衆議院選挙に、私は東京12区から出馬したのです。
 結果は惨敗でしたが、しかし多くのことを学ばせて頂きました。
 そして選挙が終わり、妻と食事して家に帰る途中、何者か知りませんが、見知らぬ暴漢に襲われ、救急車で運ばれ、左目の視力をほとんど失ってしまいました。
 確かに私は33歳のケツの青い若造です。
 そして確かに私の左目は、もうほとんど見えません。
 しかし善と悪、贅と貧、生と死、健と病、そして俗と聖を、この左目は見てきました。
 そしてこの数年間、私は「学ぶ」ということを、遊びよりも、快楽よりも、趣味よりも、出世よりも、お金より、名誉よりも、友や両親さえよりも、何よりも上において生きてきました。
 ですからたとえ左目が閉じようとも、私の心の目にはすでに少しばかりの光が見えるのです。
 こんなもの、カスリ傷に過ぎません。
 そして私も学んでみて、初めて気がついたのですが、日本は今までに無い国難の時代を迎えています。
 ですから日本国民の皆さん、どうか政治離れをやめて下さい。
 そしてつまらない宗教アレルギーを取り去って下さい。
 そうでなければ、日本に明るい未来は絶対にありません。
 これからも私は、少しでも私が生まれてきたより、この世の中を良くするために、そして明るい未来を築いていくために、これからも命がけで闘って生きたいと思います。

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